勝つためにしてはいけない事は無い

2002/03/26

 麻雀とは勝ってなんぼのゲームである。そもそもゲームとは勝つためにやるものである。
どんな手であろうと勝てばいいのである。(もちろんルールは犯しちゃ駄目です。)

 麻雀をする人の中には、例えば、引っ掛けリーチは「汚い」という人がいる。一体何が汚いのでしょう?どこも汚くありません。引っ掛けリーチとは例えばリーチをかけている人の川に5ピンがあるとする。その場合、5ピンは現物であり、完全な安全牌と言える。そして、麻雀を少し知っている人ならそのスジである、2ピンと8ピンも比較的安全だと判断して、容易に切ることが多い。それを利用するのが引っ掛けリーチである。しかし、その考えを逆に利用することを汚いと言う人がいる。(口のうるさく、短気な人はすぐ言う。しかも強くない人)どこも汚くありません。スジの牌は当たらないと勝手に誤解して切り、それでロンだったら汚いってのはおかしいでしょう。むしろ、一筋縄の読みしかできていない証拠でね。賢い人はそれをおおいに利用して負かそうと考えるのが正論ではないかと私は思います。しかし、上手な人はそんな一筋縄の読みはしません。いくら引っ掛けであるとはいえ、引っ掛けリーチのありそうな場、そうでない場、また雰囲気などは全体の捨て牌などからある程度見えてきます。要は警戒すべき牌、もちろん大部分はスジになると思いますがそれにプラスαするべき牌がこれにあたるわけです。そうなるとスジの次には引っ掛けの予測をするわけです。また、同時にこの雰囲気が読めるようになると、シャボの待ちなどもある程度の予測は立てられるようになると思います。

 私の場合、引っ掛かった時には「やられたぁ!」って思うくらいです。少なくとも「汚いことしやがる」とは思いません。結局なんだかんだ言う人って弱い人に限ると思います。負けた言い訳に「汚い」と言ってるように私には聞こえます。うまい人というのはある程度の予測を引っ掛けに対しても立てていると思うんです。だからそれほど意外性も感じないと思うし、当たっても「やっぱここかぁ」って感じだと思うんですけどね。ここまで書いて言うのも遅いと思うんですど、ここの話の主人公は「汚い」と発言する人ですが、この言葉を「卑怯」という意味で使ってる人です。大作流で言わせてもらえば、ちょっと他人の弱みにつけこむ「ヨゴレ麻雀」であり、「卑怯」とは違います。やっぱり麻雀って性格出てますな(笑)。ま、今のところ、私の「ヨゴレ麻雀」ではほんとに強い人は陥れる事もできませんわ。引っ掛けても引っかからないし、ガンガン流そうとしても鳴かせてくれないわ、あがらせてくれないわでやっぱ強い人はどんな場、局面にも順応してしまうんですね。どんな打ち方をする人と打っても勝てる。それが強い雀士ってもんですね。

一、汚い麻雀、卑怯な麻雀などというのものは存在しない

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